ふどういん
不動院の信仰/歴史
当山本尊大聖不動明王の由来を尋ねるに、嵯峨天皇の御代大同年中、弘法大師当国斗薮のみぎり当所柏原と云いしとき、磯辺に一つの石窟あり、杖を留め見給うに不思議なるかな巌窟即不動の尊体と現じ給う。大師感悦し給いて21日間秘法を修し、自ら一刀三礼のうえ御丈七寸の不動明王を御彫刻せられ、尊像に仏法成就諸願円満のために金剛空海謹作としるし、その石窟に安置奉り、草堂一宇を結び給う。
その後大永年間、羽州羽黒山より行者教雲が、諸山霊地修行の折、この草堂に一夜を過ごすその夜の夢に、今より7年を過ぎるに必ずこの石窟、海中に沈むなり。尊像を陸地に移すべきとのお告げあり。教雲、奇異の思いをなし不動堂一宇を建立し、石動山不動院と号す。これ即ち当山開基なり。時に大永6年(1526年)6月のことなり。
以来、波切不動尊(秘仏)とあがめられ、悪風退散・海上安全・七難即滅・諸願成就の霊験あらたかな、「浜のお不動さん」と親しまれ信仰を集めて参りました。
明治維新までは、松平越中守の祈願所であり、14世豊忍代には、不動明王を守り本尊とする酉年生まれ千人の喜捨により、御丈六尺の本尊前立ち不動明王像を造立開眼する。
現在は、真言宗醍醐派(総本山醍醐寺)に帰属し、「厄除不動尊」と称されて、厄除け・開運成就・家内安全・交通安全・六三除け等、諸願成就に霊験あらたかな不動尊として、信仰を集めております。
御詠歌 「有為の世に 無為の誓いや 不動尊 叶わせたまへ 二世の願いを」
寺宝 神変大菩薩・理源大師(梅山藤原壽信筆)
仁王経二巻(永享10年三宝院御門跡筆