まんがくいん
萬覚院の信仰/歴史
清流魚野川日本一の大河信濃川の合流点よりやや下流に位置し、眼前に関越自動車道越後川口インター、遠くに越後三山を眺望できる、風向明媚な処に堂を構える。
古来より、農業・漁業・養蚕業・野菜等が盛んな地域であり、五穀豊穣・大漁祈願等も行われた。
数度にわたる火災(落雷・放火等)に遇い、多くの寺宝・仏像を失う。現存する最古の資料として、元禄二年(1689年)に能満寺寺号を受領した書状がある。
本尊は、開運不動尊、右に嚢祖神変大菩薩、左に開山聖宝尊師を脇持に構え、当山三尊として代々受け継がれている。
右脇壇には、修行大師・前立ち不動尊・毘沙門天、左脇壇には、一願不動尊・養蚕天神・大黒天を配置している。
位牌堂(仮)にはお大師様・地蔵菩薩・聖観音菩薩が優しい表情で見守っている。
本堂裏手の丘の上に墓所を設け歴代住職・壇信徒の霊を御守りしている。
多い年は3mを越す積雪があるが、風雪に耐え悠然と立つ本堂も見所である。
年二回の大祭は近隣市町村より多くの参詣者で賑わう。
春は、雪解けを待ち農作業ができる喜びに感謝しながら五穀豊穣・無病息災を願い、秋は、収穫した作物に感謝し柴燈護摩火渡りで、壇信徒のお願い事が一つでも多く叶うように一心に祈願するものであります。