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東大峯山(一乗院)

こうざんじ

向山寺

代表者:小松康禅
〒300-1252  茨城県つくば市高見原2丁目11-7 

向山寺の信仰/歴史

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山 号  東 大 峰 山

院 号  一 乗 院

寺 号  向 山 寺

本 尊  弘 法 大 師

宗 派  真 言 宗 醍 醐 派

開山主  小 松  妙 響

一乗院大僧都妙響法尼 

(平成6年5月23日遷化、行年74歳)

 

 


 

向 山 寺(開山大師)の沿革

 

開山主「妙響」(僧名改名前の名;久子)は、大正8年12月13日「倉田守三(くらたもりぞう)」と「ふじ」の三女として埼玉県北葛飾郡八木郷村大字高須(たかす)529番地(現在の埼玉県三郷市高洲(たかす))に生まれる。

 「妙響」の父「守三」(M26.3.2生;僧名を「秀音(しゅうおん)」という。)は、千葉県東葛飾郡明村(あきらむら)岩瀬(現在の千葉県松戸市岩瀬)の倉田家の出身(「倉田勘五郎(くらたかんごろう)」と「かつ」の長男)であったが、若い頃から修験行者を志し、松戸の地を拠点に全国の修験道の普及活動に努めた。
 信者の数は年々増え続け、特に江戸川を挟んで、松戸、金町、三郷、吉川の東、南、北の葛飾の地においては、弘法大師の信仰の上に「守大師」と呼ばれ絶大な信徒支持を得ていた。
 縁あって吉川より「ふじ」を妻として迎えるや、三郷をはじめとする北葛飾の信徒の信仰あって、高洲の地にお堂が奉納され、「三弘大師教会(さんこうだいしきょうかい)」の住職にと迎えられることとなり、当寺開山主の「妙響」を含める3男6女が生まれ育つこととなった。
 当時の「秀音」の修験道の普及活動は本山の醍醐寺でも頻りに執り行われ、今の醍醐に残る御詠歌の節は、秀音の節と言われる三弘流とも言われたのだが、残念なことに今その歴史を知る者はほとんどいない。

 


向山寺ホームページアドレス

http://www2.accsnet.ne.jp/~kohzanji/