いほういん
威寳院の信仰/歴史
一條天皇の長徳年間(995頃)の創立で平等山地蔵寺と称し、本尊に不動明王、脇士に地蔵尊を安置した真言宗の寺院であった。
延元年中には、篠束明神の社殿造營の際、当時の住職が遷座導師をつとめている。永禄元年(1558年)兵火にあい、全焼したが、本尊と脇士は難を免れて仮屋に安置された。その後、威宝という大徳の僧が当地に巡錫の際、本尊脇士が仮屋に安置してあるのを見てこの地に留まり、篠束明神の辰巳の方に堂宇を建立した。永禄の末頃、威宝の弟子、束山が伊勢国山田の世義寺に入り、大いに研鑚の功を積み、帰郷して師の後を継ぎ、師の功を永く留めるため地蔵寺を威宝院と改称し、以来16世を経て今日に至っている。今の堂宇は、明治36年基礎工事を始め、大正年間に完成した。