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金谷山

さんこうじ

三光寺 (準別格本山)

宗務所:三河西部宗務所   代表者:金谷覚雄
〒471-0876  愛知県豊田市金谷町5丁目63 

三光寺の信仰/歴史

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弘法大師作と伝わる本尊「青面金剛王(庚申尊)」は日本三躰の霊像といわれております。碧海郡上野郷(現愛知県豊田市上郷)にあった天当庵から庚申堂が現住所に移され、伊保城の城主丹波氏が深く信仰していたと記されております。
 慶弔八年(一六〇三年)八月二三日に秋応法印を招き開基し、閑地院または松鷹坊ともいわれました。その後、挙母城主三宅能登守康勝(康時)氏が厚く信仰し寛文二年(一六六二年)一二月に衣長田(現豊田市司町)在住の永田氏に命じ本堂を再建いたしました。当時は茅葺であり、この時に山門も新立させました。
天和三年(一六八三年)四月に護摩堂が再建され、多くの行者が修行を行っていました。貞享三年(一六八六年)一二月に茅葺の本堂改築が始まり宮殿になりました。
 宝永二年(一七〇五年)七月、住職金谷験覚の時に本山(醍醐寺三宝院)から角象院法印の称号を受けております。これを期に宝永四年(一七〇七年)六月から瓦葺丹朱の本堂再建が始まり翌年三月に完成し一一月に安座の法会が修行され多くの参拝者を迎えました。
 享保二年(一七一七年)四月二八日に本山(醍醐寺三宝院)より「金谷山三光寺松鷹坊」の称号が許され、これを期に享保八年三月一五日に梵鐘が鋳られました。この当時より遠近より多くの参拝者で賑わい、修験者も多く修行に励んでおりました。
 昭和二四年(一九五三年)醍醐寺三宝院より「準別格本山」への昇格が許されました。
 境内には青面金剛王の他、明暦元年(一六五五年)の大洪水の土中の中から金谷村(現金谷町)の川原又佐御門が発掘した薬師仏もあり、不動明王は宝永七年(一七一〇年)川上氏(旧緒川屋)の奉納であります。