wp-content/uploads/100684/01.jpg

明王寺

宗務所:大分宗務所   代表者:吉水善無畏
〒877-0012  大分県日田市淡窓2丁目3-25 

明王寺の信仰/歴史

wp-content/uploads/100684/02.jpg

縁起 真言宗醍醐派報恩院遍照山明王寺 明王寺の建立は、当時日田町大字南豆田字鉄砲場(現在の丸の内町)に在住の水島安兵衛翁の発願によるものであります。

  翁は、 明治十四年旧三月、三十九才の時に感ずるところあって本四国八十八ヶ所の参拝巡礼の旅に出て、第五十一番札所・石手寺参拝のおり弘法大師のご加護を頂き深く感銘し、その報恩感謝の誠と多くの人々に大師のご加護のあらんことを念じて一寺建立を発願致しました。 

  翁は一寺建立にあたり私財の大半を喜捨し、また、幾多の困難を克服して漸くにして、明治二十一年三月二十一日、大分県下毛郡中津町より明王院の院号を鉄砲場に移し、更に山号を遍照山・寺号を明王寺に改め、上棟の式(地突き加勢300有余人、上棟加勢500余人)を修しました。

  明治二十一年11月21日に落成し、大願成就しました。県内外より十五ヶ寺余の住職が参集しまして、十三日間に渡り盛大な落慶法要が修され、無魔吉祥に明王寺が建立されました。これが明王寺発祥の由来であります。 

ついて明治21年京都醍醐寺より吉水隆禅師が普山し第2世住職となりました。この時招来した不動明王のご尊像は、理源大師聖宝(下記参照)の御作と伝えられております。また、大正15年には現在の淡窓町に移転いたしました。