みょうごんいん
明言院の信仰/歴史
明言院の本堂は、熊本県八代市興善寺町に建てられています。この地は奈良県朝後期創建の法起寺式の壮大な伽藍配置を持つ八代郡寺・興善寺の跡地です。
寺伝によりますと、開創は583年でその後645年に龍ヶ峯山妙林寺と名を変え、八代郡の政庁寺なったとあります。1178年には天台宗 月山禅誉和尚のもと、龍ヶ峯山興善寺となりますが、平家の滅亡のころには、興善寺も廃寺となってしまいます。
その後、1352ねんには征西大将軍懐良新王の祈願寺(護国山 顕考寺)がこの地に建立され、この寺は八代地頭職 名和顕興の菩提寺となりますが、1588年 小西行長の兵火で又も廃寺となりました。
兵火に際し地元民達は仏像を近くの竹薮にかくまいました。1625年、八代城々代 加藤正方は保存堂を建立しかくまわれていた仏像を安置しました
1659年に中興の許可が下り、明言院秀盛が一世の住職となり現在に至っております。明言院秀盛は肥後細川藩初代の細川藩初代の細川三齋公に父・文学院西性と共に豊前からお供してきた三兄弟の一人です。
奉安仏像
本尊 千手千眼観音菩薩(八代市指定文化財)
1352年に安置され、古来当院の秘仏とされています。
脇立ち 毘沙門天立像(国指定重要文化財)
楠木一本造り(身長142.4cm)で平安後期の作品。この毘沙門天像は熊本で一番古く、力と重量感に圧倒される堂々たる威風の彫りは美術的にも県下一されています。
このほかに二十有余体の仏像が安置されています。
その他
境内には、1546年、宮原城々代、橘公忠がこの寺にこもり、法華経の一千巻を百遍も読破した記念に建てた逆修牌があります。また、境内中央には、奈良時代~平安時代のものと推定される塔心礎が残っています。ほぞ穴の大きさから塔は三重塔であったと推定されます。