こうざんじ
寺院運営について
向山(むこうやま)大師としての大師信仰のもとに、古義真言宗としての伝統を重んじ、壇信徒自らの信仰心を尊重し、宗教としての慈善事業の精神を大切にしたいと考えていますので、寺側から寄付を求めることは致したくないのです。壇信徒等が自己の信仰心により仏に奉納したいと思う自発的な寄付行為であればともかく、本来、寄付は他人に強要されてするもではないと私は思うのです。御布施も施主が自分の気持ち、つまり仏の供養に対する気持ちや祈願の気持ちから施主が決めるものですから、賽銭箱にいくら入れるかは個人の価値観にあるように決まっているものでなく各々の人の価値観の違いがあって然るべきものだと考えます。仏門で仏に願いを掛け或いは心の救済を求め、その願いが叶えばその人は再び仏門に訪れることでしょう。そんな信仰心を大切にしたいと考えます。但し、当寺壇家としての霊園の管理費や塔婆料は決めさせていただいてます。当寺の壇信徒としての決まり事は守っていただきます。
当寺は先代(開山主)「妙響」が苦労しながら個人財産で設立した寺であるように、過去にも将来にも壇信徒の寄付をあてにして寺院を運営して行くつもりはありません。庫裏(居宅)の増改築にあっても現在も尚、私の役所の給料からローン返済をしている現状にあるように通常はサラリーマン家庭と何ら変わりのない生活をしています。現実としては子供の教育をはじめとして生計を維持していくことに精一杯で、なかなか仏具も揃えられませんし、本山への奉納などとても余裕がありません。確かに苦しいときに寺であるが故に助けられていることが多々あることは事実ですから、“もう少し節約して精進すべし”と思うのですが、勤め人である以上同僚との付き合いも必要です。他人から見れば車もあるし、たまには旅行や外食もするほど贅沢だと思う人もいるかもしれませんが、当寺の壇信徒は理解してくれているようです。
壇家は無理して増やすつもりはありません。今の時代ライフ産業は非常に盛んな世の中ですから、霊園商売として永代使用料と石塔をセットで販売することを率先すれば、あっという間に立派なお堂が建つかもしれません。しかし私としては、縁あって壇家になる方があれば十分だと思います。三百年も五百年もの年月を経て五百件の壇家がある寺を考えれば、当寺は霊園を開設してから未だ三十年ほどですから、親戚の壇家を含めて三十数件の壇家しかなくて当然だと思うのです。ですから百年後にでもそこそこのお堂が出来ればよいと考えるのです。
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