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松齢山

せんぷくじ

千福寺

宗務所:三重宗務所   代表者:鈴木裕道
〒514-0126  三重県津市大里睦合町1345 

千福寺の信仰/歴史

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承和四年(八三七)大和西大寺の僧忍性上人の創建に係るものと伝えられる。上人は仏道を広める途次、伊勢神宮に参拝、外宮にて地上を加持したとき、池の水が白糸の如く西北方へ飛び去った。弟子空尊に確かめさせたところ、当山の松の木に懸かり十日程消えなかったという。上人は大神宮の霊告にて弘法の地を示されたと感得し、直ちにこの地へ堂宇を建立された。
文明の末(一四八〇~)時の住僧は開山縁起の尊さを悟り、一心に崇信に勤め、人々もまた広く信仰崇拝し寺運は興隆した。
慶長元年(一五九六)には紀州藩より寺領をうけその後紀州徳川頼宣公は先例の寺領と共に、七堂伽藍を建立、寺容を完備した。その規模は現在の数倍はあったといわれる。また紀州徳川家「葵」御紋の使用を許されたという由緒ある寺院である。紀州家代々の位牌は今も厳然と安置されている。
惜しいことに元治元年(一八六四)火災に遭い、堂宇は焼失したが、平成四年に本堂を再建した。
本尊十一面観音は大正三年(一五七五)造立、運慶作という。
境内には本堂、地蔵堂、観音菩薩立像が造立されている。近在の人々から大里の観音さん、大里のお大師さんと親しまれている。
八月二日に施行される百万編念仏行事は、俗に数珠繰りといわれ、大きな数珠を数十人の人が回しながら般若心経を唱え祈願するもので、伝統の祈願作法で最近では珍しい行事である。
その昔弘法大師が伊勢参拝の折、当山へ尺上をとどめられたことが大里大師の由来となっている。