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松尾山

きちじょうじ

吉祥寺

宗務所:大分宗務所   代表者:河野裕照
〒879-7123  大分県豊後大野市三重町松尾1496-2 

吉祥寺の信仰/歴史

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吉祥寺は、松尾山広福寺と呼ばれていた。大同元年(西暦806年)空海が唐から帰朝した時に開いた寺であるといわれている。
広福寺〔現在の吉祥寺〕の本尊は、薬師瑠璃光如来です。今は秘仏となっていますが、その厨子の前に別の薬師如来(500年ぐらい前の小像)を置いてお祭りしています。薬師如来の左側に不動明王(町有形文化財)、右側に大威徳明王(県有形傾文化財)が並んでいます。秘仏の薬師如来と不動明王・大威徳明王は、広福寺の講堂に安置されていた仏像であることがわかりました。大威徳明王修理の時、座牛の胎内から、弘安7年(西暦1284年)に造った記事が発見された。秘仏の薬師如来と不動明王も同じ時期(700年)に造られたと考えられています。
広福寺は、中心の建物である講堂、11の房舎、身長2,5㍍ほどの金剛力士像(現存しているのは首部)のある山門をもつ大きな寺院でした。ところが、豊後の大友を攻めるため、天正14年(西暦1586年)薩摩から侵入した島津軍が広福寺を本陣とし、翌年退却の折り放火され灰となった。その後は、現在の薬師堂が建立され火災をまぬがれた仏像を安置している。修理と彩色をした時、堂内の十二神将はこの時新に造られた仏像です。古い歴史をもつ広福寺は、江戸時代後期までは、その寺名を残していましたが、その後吉祥寺と寺号を改めました