けんりゅうじ
賢龍寺の信仰/歴史
御土御門ごつちみかど天皇の御代/文明13年・室町時代(1481年)今を去る約500年前、京の僧が「将軍愛宕地蔵尊・不動明王」の両尊を奉して村内板屋原にきて寺を建立し、両尊を安置して「妙光寺」と号した。その後、兵火のため伽藍は焼失したが、幸いにも本尊二尊は時の僧円浄法印により搬出され、この難を免れた。以後は少庵を建て安置したが、時移り世が変わるに従い衰微し、今から約、350年前 御西ごさい天皇の明暦元年(江戸時代前期1655年)七月、円峯法印が寺の復興を計り堂宇を建立して、賢龍院法船寺と寺名を改称し、中興開山した。その後後継者もなく時の経るにしたがい荒廃した。
今を去る200年前、光格こうかく天皇の天明元年(江戸時代後期1781年)に宥玄法印が深く嘆き、現在の地に移転、中興開山となり現在に至っている